家族の声:呼吸が困難になってきたら

ALS を告知された時から、進行過程で呼吸困難になることは覚悟していました。

SpO2(経皮的動脈血酸素飽和度)が下がってくると呼吸が辛くなるといわれていますが、少しずつSpO2 が下がることもあり、患者は体が慣れて、数値が低くても息苦しさを感じないようです。パルスオキシメーターで毎日測定することが重要です。

主人は日中SpO2 が90%以上あっても夜中は90%を切ることもありました。そのため、眠りが浅くよく目が覚める、翌日は疲れが取れず体がだるいなどの症状がありました。呼吸補助のために鼻マスク(NPPV)の導入を検討し、1週間位入院して練習しました。

少しずつ装着時間を延ばし、睡眠時に着用することで、体内に十分酸素が入り、熟睡でき体力の維持に繋がりました。

ALS は無理せずに機器を上手に使うことで、患者や家族の療養生活を楽にする事ができます。あまり頑張り過ぎず無理しないことが進行を早めないことになるかなと思います。

50 代 女性


願わくば 花の下について春しなむ その如月の望月の頃 西行
好きだったこの句のように、春、78 歳の誕生日に長く苦しい筋萎縮性側索硬化症ALS との戦いに力尽き矢折れ、「家に帰ろうね」と言う私の言葉に最後の力を振り絞って「オウー」と答え逝ってしまいました。
53 歳、ジョギングの時に足がもつれると気がつき、4年後に車椅子になり、そのまた4年後にALS と告知を受け、言葉が出なくなり、飲み込みが悪くなり、食べられなくなり……と、坂道を転がり落ちていくように身体の能力をALS は理不尽に奪っていきました。
人工呼吸器は選択しないけれど最期まで頑張ると決意した夫に、私は、彼の思いを大切に共に生きることにしました。家を改造、在宅療養を始めました。病気はゆっくりと進行していき、それにあわせていろいろな工夫が必要となりました。
一番工夫を要したのは食事でした。粥食はさらに粥をミキサーにかけ、梅干しは裏ごしに、刺身は叩いてドロドロに、山芋やゼラチンを活用し、トマト等は種を取りスープにと。カステラと牛乳、バナナとヨーグルト、イチゴは薄く皮を剥きツブツブを取り除きミルクと共に、ミキサーが大活躍。
好き嫌いの多い彼のため好きな食物をと工夫しましたが、徐々に誤嚥が多くなり、肺炎で熱を出すことが多くなり、口から食べられなくなったので、胃ろうを造るようにと説得しました。大好きなコーヒーを味わうためにガーゼをコーヒーに浸して1日に何回もそのガーゼで口を拭きました。
胃ろうが使えなくなり、ポートに変わり、病院生活の中で白血球も少なくなり、身体の痛みと闘い、最期に残った目での意思表示も難しくなりました。
彼が逝ってしまって2 年になります。これでよかったのか? 人工呼吸器を選択しないと言った夫にもし私がもっと強く説得していたら……と思わない日はありません。でも夫と私と家族のALS との闘いは終わってしまったんです。
夫の口癖「人間諦めが肝心だ、どうにもならないことはどうにもならん」を呟きながら自問自答してこれからも生きていきます。
70 代 女性

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