患者の声:嚥下困難があったら

肺活量が60%に落ちたので、胃ろう造設を体力のあるうちにと決意し、医師との話し合いで、二番目に太いチューブでバンパー型を選択した。

手術室で胃カメラを目の当たりにした時はすごく緊張してしまった。胃カメラの経験はあったが、今回はすごく辛く、この時に頭に浮かんだのは手術時期が遅かったのか……と。手術自体は1時間弱で終了し、「終わりましたよ」と言われた時は急に気持ちが楽になった。

術後は動けない辛さと尿道カテーテルのために絶え間ない尿意はあったが、恐れていた術後の痛みを感じなかったのが幸いだった。翌日から車椅子に座ったりすると楽になった。ただ口から何も入れられず、点滴が続いたのが苦しかった。3 日目は造影剤による検査で、胃ろうから漏れていないことを確認。食事の許可が出た。5 日目に点滴とカテーテルを外した時は気分がスッキリし、ようやく私の胃ろう手術が終わったと感じた。

胃ろうはしないつもりでいたが、食事に困り、1日1 回使用のつもりでいたのに今では薬を朝昼夜と入れている。

胃ろう造設にはまだ口から食べられるのに……と抵抗する気持ちもあった。しかし今は口から食べられない時、いつでも胃ろうから補給できるという安心感があり、よい時期に着けたと思っている。

60 代 男性


食べる幸せ、ALS だから残したい。

僕が今も食べられるのは、あの頃「食べないと死ぬ」と思っていたからです。また妻もヘルパーさん達も「何が何でも食べさせなきゃ」と頑張ってくれたからです。もし1人でも「難しい」とか「無理です」と言っていたら、今頃は食べていないと思います。

あの頃は飲み込みが悪くなっただけじゃなく、頭を自分で支えられなくなり、首がグラグラしていました。だから首にコルセットを巻いて、食事介助をしてもらっていました。

でもそのままじゃ飲み込めなかったので、ヘルパーさんに僕の額に手を添えてもらって飲み込むタイミングに合わせて顔を下に向けてもらっていました。それを1口ずつ繰り返すので、大変だったと思います。

でもみんな必死でした。僕も頑張りましたが誰1人できないとか言いませんでした。

そして誤嚥した時は頭を下げてもらい、気管に入った食べ物が出るまで背中を叩いてもらっていました。気管から出すのは妻が上手でした。

何度も何度も誤嚥していたけどシッカリ気管から出していたので、一度も誤嚥性肺炎になった事はありません。ちなみに今は100%誤嚥しない手術をしているので大丈夫です。

今も妻とヘルパーさん達に感謝しています。

60 代 男性

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